現在、さまざまなところで日本語が見直されています。
そういうわけでここでも見直してみたいと思います。


第一回
【流罪】

流罪、と言う言葉があります。
これは元来中国の律令の刑罰の一つでした。
日本の律令制度では笞、杖、徒、死、流の五罪のうちの一つです。
昔の交通や通信手段が無い時代、都から遠くに流されるというのは政治生命が終わるということだったため、政治犯にこの刑罰を用いることが多くありました。特に平安時代は死罪がほぼ廃止されていたため、政変の際には菅原道真や伴善男や橘逸勢などの有名な政治家が流罪となりました。
さて、この言葉はなぜ流すというのでしょうか。
一般に海の向こうに連れて行くのだから流刑だと言う連想が働きます。しかし、中国の場合は小島などに流されることはまず無く、山奥の地に陸路で流されます。これは流すというイメージからは遠いものです。なぜ、「流す」なのでしょうか。それは、中国独特の皇帝制度に理由があります。
中国の皇帝は竜の化身であり、天帝から地上の支配権をゆだねられているというたいへん重要な存在です。そんな皇帝に対しては地上の人民達はできる限りの奉仕をしなければならない、それが儒教の制度です。そのため、皇帝はたいへん贅沢な暮らしをしていました。今も北京や台北の故宮博物院に行くとその一端をのぞく事ができます。もちろん食生活も最高のものでした。唐の玄宗皇帝が妃の楊貴妃のためにはるか南方の地より傷みやすい茘枝(ライチ)の実をとりよせていた話や、清朝皇帝の食べていた食事、満漢全席の豪華さを見てもわかります。皇帝の前にはいつも趣向を凝らしたおいしそうな食事が
ならんでいました。皇帝の世話をする宦官や大臣たちは、いつもそれをみてはよだれをたらしていました。そういう中で、つい皇帝の食事をつまみ食いしてしまう者も出てきます。大臣たちはその者に対するうらやましさのあまり、つい大量のよだれを流してしまうのです。そのよだれの流れに飲み込まれ、つまみ食いをしたものは流されてしまうのです。そのことから、宮廷を追放されることを「流」と言うようになったのです。飽食の時代に、ふと流罪に対して思いをはせてみるのもよいかもしれませんね。